長刀鉾
函谷鉾
菊水鉾
月鉾
鶏鉾
※長刀鉾
鬮(くじ)とらずとして、毎年必ず山鉾巡業の先頭を行く。
生稚児が乗る唯一の鉾である鉾先には、疫病邪悪を
払う長刀をつけている。

※函谷鉾
鉾の真木は22メートル、鉾頭には三角形の白麻を張り
先端には三日月が上向きに取り付けられている

※油天神山
町名(風早町)の由来であるお公家さん
山は、立派な朱塗りの鳥居が特徴
天神さんと関係深いのが梅の花。
松と一緒に立てられた紅梅が、華やかな
雰囲気をかもしだす。

※鶏  鉾
中国、尭(ぎょう)の時代に天下が治まっていたため
使われなくなった訴訟用の太鼓に、鶏が巣を
作ったという故事に由来する。

※木賊山
木賊山町の山
木賊刈りの老翁が別れた愛児を思いながら舞う
場面を表現している。

※月  鉾
夜と水徳の神であった月読尊(つくよみのみこと)が由来。
鉾頭には、横40センチ・上下24センチの金色の三日月をつけ、
真木の中程の天王台の下には籠製の船が真木を
貫いて取り付けられている。

※孟宗山
中国・24孝の1人
孟宗は、母親が病気になり、好物の筍を
求めて竹林を歩きまわったが、寒の季節で1本もなく
疲れ座り込んでしまった。
その時、筍が出て来て母親は元気になった話からきている。町名が笋(たかんな=たけのこの意味)町というのもこれに由来する。

祇園祭
油天神山
木賊山
孟宗山
綾傘鉾
山伏山
保昌山
岩戸山
船鉾
北観音山
黒主山
南観音山
2006年7月17日、雨の中での山鉾巡行。

山鉾巡行を見るのは実に28年ぶり、その時は妻(妊娠6ヶ月)と
京都独特の暑さに参ってしまい途中で帰った記憶があります。

久しぶりの”祇園祭”、一緒に行こうと誘ったのですが28年前の
しんどさが忘れられないのか、行かないとの返事・・・・
仕方がないので一人で行く事に・・・・・

17日の朝、Am6時に起きるつもりが1時間朝寝坊してしまい
京阪四条駅に着いたのがAm9:30
(切符は三条駅まで買ったのですが車内アナウンスと乗客に釣られて
 つい、四条駅で降りてしまいました。(笑))
駅から出ると ドシャ降り・・・・ (+_;) (/_;) (;O;) (;_;) (;_・) (>へ<)
それでも大勢の人達に混ざって河原町の交差点まで歩くと、雨にも
めげずいっぱいの人出です。

大勢の見物人の中、屋根のある所を探して観覧!!

写真を撮りたいけど前の傘が邪魔で思うように撮れません!
それでも久しぶりの「山鉾巡行」なので必死で撮りました。(笑)
このお天気では仕方ないですね。

次回は何時になるかわからないけど、朝 早く来ていい場所を
探して撮りたいと思います。(笑)

※綾傘鉾
徒歩の傘鉾として応仁の乱以前のふるい鉾だが、元治元年に焼けて以来、明治10年代に一時
復活したもののふたたび中断。ようやく昭和54年、巡行を再開した。

※山伏山
山に飾る御神体が山伏の姿をしているので、この名前がある。
正面の水引は、雲中の竜、青海波と麒麟を精緻な刺しゅうで描いた中国からもたらされた豪華なもの

※菊水鉾
1952年に88年ぶりに復興し、以降年々装飾品を充実させている
鉾頭には天に向いた金色の十六菊をつけている。

※保昌山
旧名に「花ぬす人山」という。
平井保昌は藤原大納言方の孫で、妻は和泉式部。
恋した女官から紫宸殿前の梅を手折ってほしいと頼まれて首尾よく一枝を得た。
しかし北面の武士に発見され、射かけられた矢が頭をかすめ逃げ帰ったという。
盗難除け、縁結びのお守りが授与される。

※岩戸山
 『古事記』『日本書紀』に記される「国生み」と「天の岩戸」の神話を故事にもつ、曳き山。
屋形内に、伊弉諾尊、天照大神、手力男命の3体の人形が飾られる。

※船鉾
『日本書紀』の神功皇后の新羅出船に由来する。
現在の船鉾は、宝暦年間に計画され、天保年間に完成。船頭に「鷁(げき)」と呼ばれる想像上の瑞鳥を飾る。

※北観音山
応仁の乱の時代から隣町の南観音山と、1年おきの交代で山を出していたといわれる
この両山だけ。もとはかき山だったが、後に曳き山になった。
鉾ではないので真木の代わりに真松を立てる。

※黒主山
油天神山が梅なら、こちらは桜を松と共に飾り、華やいだ雰囲気をかもす
山を飾る桜の造花は、家に悪事を入れないお守になる。

※南観音山
「北観音山の観音様は男だが、南観音山は女性なので、南では宵山の夜更けに翌日の巡行の無事を祈って
“あばれ観音”の行をされる」といういい伝えがあり、「あばれ観音」の別名がある。
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