※綾傘鉾
徒歩の傘鉾として応仁の乱以前のふるい鉾だが、元治元年に焼けて以来、明治10年代に一時
復活したもののふたたび中断。ようやく昭和54年、巡行を再開した。
※山伏山
山に飾る御神体が山伏の姿をしているので、この名前がある。
正面の水引は、雲中の竜、青海波と麒麟を精緻な刺しゅうで描いた中国からもたらされた豪華なもの
※菊水鉾
1952年に88年ぶりに復興し、以降年々装飾品を充実させている
鉾頭には天に向いた金色の十六菊をつけている。
※保昌山
旧名に「花ぬす人山」という。
平井保昌は藤原大納言方の孫で、妻は和泉式部。
恋した女官から紫宸殿前の梅を手折ってほしいと頼まれて首尾よく一枝を得た。
しかし北面の武士に発見され、射かけられた矢が頭をかすめ逃げ帰ったという。
盗難除け、縁結びのお守りが授与される。
※岩戸山
『古事記』『日本書紀』に記される「国生み」と「天の岩戸」の神話を故事にもつ、曳き山。
屋形内に、伊弉諾尊、天照大神、手力男命の3体の人形が飾られる。
※船鉾
『日本書紀』の神功皇后の新羅出船に由来する。
現在の船鉾は、宝暦年間に計画され、天保年間に完成。船頭に「鷁(げき)」と呼ばれる想像上の瑞鳥を飾る。
※北観音山
応仁の乱の時代から隣町の南観音山と、1年おきの交代で山を出していたといわれる
この両山だけ。もとはかき山だったが、後に曳き山になった。
鉾ではないので真木の代わりに真松を立てる。
※黒主山
油天神山が梅なら、こちらは桜を松と共に飾り、華やいだ雰囲気をかもす
山を飾る桜の造花は、家に悪事を入れないお守になる。
※南観音山
「北観音山の観音様は男だが、南観音山は女性なので、南では宵山の夜更けに翌日の巡行の無事を祈って
“あばれ観音”の行をされる」といういい伝えがあり、「あばれ観音」の別名がある。